虎に翼:寅子の再婚相手は星航一(岡田将生)!夫役のモデルとキャストも

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2024年4月より、朝の連続テレビ小説『虎に翼』の放送がスタートしました。


舞台は激動の昭和初期。

まだ女性の権利があまり認められていなかった当時、大学を総代(首席)で卒業。

のちに、女性初の弁護士、さらには裁判官にまでのぼりつめた女性・猪爪寅子の半生を描いた作品です。


モデルになった人物は一体誰?結婚相手は誰が演じるの?

\この記事を読んでわかること/

・朝ドラ『虎に翼』で猪爪寅子の結婚相手は誰?
・寅子の夫は生涯二人。再婚相手は誰なのか。
・夫のモデルとなった人物は誰?キャストは?



虎に翼:東浦町のロケ地はどこ?明治村ほか撮影場所も

猪爪寅子(虎に翼)の恩師:穂高重親のモデルは誰?

虎に翼(朝ドラ)結婚式の歌はモンパパ!歌詞の内容と寅子の怒りの理由も

ロケ地の橋は長池見附橋!舞台は四谷なのになぜ?意外な史実が判明!



虎に翼:寅子の再婚相手は星航一(岡田将生)!

猪爪寅子のモデルになった人物は?


激動の昭和を生き、女性初の弁護士・裁判官になった女性、猪爪寅子(いのつめともこ)の半生を描いたドラマ『虎に翼』の放送が、遂にスタートしましたね!


「虎に翼」とは、古代中国の書物を起源とすることわざで、「もともと強い者が、さらに強い力を持つこと」を意味します。

意味としては、鬼に金棒」とかなり似たニュアンス💡


もともと男性優位だった法曹界に、強い決意と勇気をもって飛び込んだ寅子。

そんな寅子が、「法」というさらなる強みを手にして、未来を切り開いていく姿を生き生きと描いた作品です。


朝ドラ『虎に翼』の主人公・猪爪寅子(いのつめともこ)には、そのモデルとなった人物が存在します。

その女性こそ、「家庭裁判所の育ての母」とも言われた

三淵嘉子(みぶちよしこ)さん

です。


寅子のモデルとなった、三淵嘉子さん



三淵嘉子がうまれたのは、1914年(大正3年)。

父親が台湾銀行の行員であったことから、その勤務地であったシンガポールで誕生しました。


海外に長く身を置き、当時としては珍しく先進的な考えを持っていた嘉子の父親は、「将来は男女平等にあるべき。医師か弁護士になりなさいと教え、育てたといいます。


ちなみに、嘉子の父親も帝国大学(現東京大学)出身の超エリート…!


シンガポールからニューヨーク勤務を経て帰国後、東京都渋谷に移り住んだ三淵一家。


当時、嘉子が志した法曹界は圧倒的な男性優位の世界でした。



嘉子は、唯一女子学生へ門戸の道を開いていた明治大学専門部女子部法科に進学し、その後明治大学法学部に進学します。


さらに学校の中でも優秀な成績を収め、卒業生総代(代表)をつとめるまでの頭角を現します。

その後、1938年に司法試験に合格し、その2年後に弁護士登録。

晴れて、女性初の弁護士として活動を本格化させました。


戦時下において様々な困難や愛する人との別れに直面しながらも、女性ならではの配慮を備えた家庭裁判所の設立に関わったほか、日本初となる女性裁判所長にまで上り詰めました。


生涯の結婚相手は2人

朝ドラ『虎に翼』の猪爪寅子のモデルとなった人物・三淵嘉子は、戦時下の混乱も相まって激動の人生を送ることになりました。


私生活において、嘉子は生涯2人の人物と婚姻関係にあったことがわかっています。



その人物というのが、

和田芳夫(わだよしお)
三淵乾太郎(みぶちけんたろう)

です。



このうち最初に結婚した夫・和田芳夫は法曹を目指しており、三淵家に書生として出入りをしている男性でした。


ドラマ『虎に翼』でいうと、佐田優三(仲野太賀)がこの役になりそうですね。


ちなみに、三淵嘉子の旧姓は「武藤」といいます。
後世に残された姓が「三淵嘉子」なのは、再婚した夫の姓によるものです。


夫婦仲は良好だったと言われていますが、戦時下ゆえの事情により、嘉子は悲劇的な別れを経験することになります。

そして、その後別の男性と再婚するのですが、その相手が誰なのかについてSNS上では様々な予想がされています。


以下では、

・最初の夫である和田芳夫との馴れ初めや別れの経緯
・再婚した夫の人物像
・ドラマでは誰が演じるのか

についてご紹介していきます💡


夫のモデルとキャストも

1人目の夫:和田芳夫(わだよしお)

三淵嘉子が最初に結婚した相手は、

武藤家に書生として居候していた、和田芳夫(わだよしお)

という男性です。

「書生」とは、他人の家に下宿させてもらう代わりに家事や家のことを手伝い、そこで勉学に励む主に学生のことを指します。



ドラマ『虎に翼』のなかでは、

仲野太賀さんが演じる、佐田優三(さだ ゆうぞう)

が、最初の夫・和田芳夫をモデルにした人物だと考察されます。


『虎に翼』第7週では、弁護士になったものの、「女性だから」という理由でなかなか法廷デビューすることができない寅子が、社会的信用を得るためにお見合いを決意します。
25歳で(当時)既に晩婚と言われる年齢に差し掛かり、さらに結婚後も弁護士を続けるということで、なかなか相手は見つかりません。
そんななか、長年思いを寄せていた優三が、「自分も社会的地位を得たいのは同じ。僕と結婚しませんか」と本心を隠して結婚を提案します。
これを了承する形で、朝ドラ史上めずらしい“政略結婚”が成立するのです。


史実に基づく結婚後の二人は?

1943年、同じ明大卒である和田芳夫と結婚した嘉子は、同年、長男の芳武(よしたけ)を出産します。

夫婦仲も非常に良かったといわれていますが、そんな二人を悲劇が襲います。


時は第二次世界大戦の戦時下。

一度目の招集令状が届いた際には、芳夫の体に病気(結核による骨膜炎)が見つかったために兵役に付すことは免れました。

しかし、二度目の徴収でついに、芳夫も戦力の一角として戦地へ召集されてしまいます。



中国へ渡った芳夫は戦地で発病、収容されていた上海の病院で終戦の知らせを知ります。

その後船で帰国し長崎の陸軍病院へ入院しますが、肋膜炎を発症し危篤状態に―…



嘉子のもとにも危篤の知らせが届き、慌てて息子を連れて向かいますが、最期を看取ることは叶いませんでした。


厳密にいえば、危篤の知らせはすぐに嘉子宛てに送られました。
しかし、その一報は嘉子の本籍地である香川県に届いてしまいます。
実際には福島に疎開中だったため、知らせを受け取るのが遅れてしまった、という事情があったのです。

戦後間もない混乱のご時世特有の、悲しい事情があったのですね。



5月24日(金)に放送された『虎に翼』の第40話では、優三の出征の場面が描かれました。

神妙な面持ちのまま笑顔で送り出すことができない寅子に、変顔をして笑わせようとする優三…


「必ず帰ってくる」と約束して、寅子や幼い我が子に別れを告げました。


もし史実通りに描かれるのだとすれば、これが寅子と優三が最後に言葉を交わす場面ということになります。


実在する人物をモデルとした作品とは言えど、現実で叶わなかったからこそ、最後にほんの少しだけでも夫婦や家族の時間ができることを願うばかりです。


2人目の夫:三淵乾太郎(みぶちけんたろう)

三淵嘉子の再婚相手となった人物は、

最高裁調査官を歴任した、三淵乾太郎(みぶちけんたろう)

という男性です。


幸せそうな表情を浮かべるお二人。素敵なご夫婦ですね!


乾太郎の父親は、初代最高裁長官・三淵忠彦という法曹界のエリート家系でした。



1956(昭和31)年8月に再婚した嘉子と乾太郎。

この時点で嘉子は41歳、乾太郎は50歳でした。


また、乾太郎は前妻に病気で先立たれており、1男3女の子供を抱えていました。

二人が再婚したことにより、2男3女の大家族に…!


寅子のモデルとなった嘉子が、乾太郎と再婚したのは1956年。

嘉子が日本初の女性裁判長に任命されたのは、1972年(新潟家庭裁判所長)のことです。


乾太郎は、嘉子が裁判長になるまでの様々な困難を共に乗り越え、公私ともに支えてくれる大切な存在だったのでしょう。



嘉子は、1984年5月28日に69歳でその生涯を終えるまで、三淵乾太郎との婚姻関係を継続しました。



『虎に翼』の全体相関図が発表されましたが、再婚相手となる三淵乾太郎をモデルとした役は一体誰なのでしょうか。



実は、既存の人物相関図には名前が載っていないのですが、

岡田将生さん演じる、星航一(ほしこういち)

という人物が、三淵乾太郎ではないかと言われています。



岡田さんが演じる星航一は、寅子と同じく裁判官として働き、責任感を持って職務に当たる真面目な人物。

温和で穏やかな人柄ですが、その笑顔の裏には秘めた想いを抱えています。



ドラマ『虎に翼』では、星航一の父親であり、初代最高裁判所長官の星朋彦を俳優の平田満さんが演じることが発表されています。



つまり、

【子】星航一(岡田将生)
→寅子と同じ裁判官として働く。

【父】星朋彦(平田満)
→航一の父親で、初代最高裁判所長官。

寅子に自身の改稿作業を手伝ってもらうことになり交流を深める。
寅子が信頼する、穂高重親(小林薫)とも親しい仲。

ということになりますね。



寅子のモデル・三淵嘉子の2番目の夫である三淵乾太郎も、父親が元最高裁長官であり、星航一の人物像・家族関係と一致しますね!

ドラマの中で、三淵乾太郎の役割を務めるのは、岡田将生さんかもしれません💡


再婚相手のキャストは松山ケンイチ?


寅子の再婚相手は、岡田将生さん演じる星航一説が有力視される一方で、意外な人物も予想のなかで名前が挙がっています。

それが、「松山ケンイチさん演じる 桂場 等一郎(かつらば とういちろう)ではないか?」というものです。


桂場は、寅子が学問としての法律に足を踏み入れるきっかけを作った人物でもあります。

最初は寅子に対してキツく当たっていた桂場ですが、少しずつその実力や情熱を評価している様子もあります。

二人が夫婦になったら面白そうではありますね。


一方で、史実を調べてみたところ、

桂場等一郎のモデルとなった人物は、石田和外(いしだかずと)

という男性であり、三淵嘉子と婚姻関係にはなかったことが判明しています。


名前:石田和外(いしだかずと)
生年月日:1903年5月20日
出身校:東京帝国大学法学部

帝人事件(ドラマでいう共亜事件/桂場が判決文記載)を担当。
最高裁判所長官を歴任し、1979年に76歳で死去。

ドラマ『虎に翼』はあくまでもフィクションなので、必ずしも史実通りに話が進むわけではないと思います。


ただ、桂場と寅子に関しては、史実に基づく相手像とかなりズレがあること、そもそもの立場の違い、年齢差が大きいことなどから、結婚相手である可能性は低いのではないかと推察します。


あくまでも個人的な予想です💬




今後新たな情報が分かり次第ご紹介していきます。


まとめ

今回は以下の内容についてご紹介しました。

・朝ドラ『虎に翼』で猪爪寅子の結婚相手は誰?
・寅子の夫は生涯二人。再婚相手は誰なのか。
・夫のモデルとなった人物は誰?キャストは?

・朝ドラ『虎に翼』の主人公、寅子のモデルとされる人物は、三淵嘉子さん。

・生涯の結婚相手は2人。

1人目の夫は、和田芳夫(1943~1946年)
→仲野太賀さん

2人目の夫は、三淵乾太郎(1956~1984年)
→岡田将生さん演じる星航一の可能性が高い?

1人目の夫は戦時下に中国で発症した病が原因で、帰国後に陸軍病院で死去。
2人目の夫とは、1984年に69歳で嘉子がこの世を去るまで添い遂げた。


虎に翼:東浦町のロケ地はどこ?明治村ほか撮影場所も


ロケ地の橋は長池見附橋!舞台は四谷なのになぜ?意外な史実が判明!


虎に翼(朝ドラ)結婚式の歌はモンパパ!歌詞の内容と寅子の怒りの理由も

猪爪寅子(虎に翼)の恩師:穂高重親のモデルは誰?

コメント

  1. […] 三淵嘉子は生涯で2人の人物と結婚しました。1人目は三淵家に書生として出入りしていた和田芳夫で、ドラマ「虎に翼」の佐田優三と同じ立場の人物です。嘉子は和田芳夫と悲劇的な別れを経験し、その後三淵乾太郎と再婚しました。詳しくみる ⇒参照元: 虎に翼:猪爪寅子の結婚相手(夫)は誰?モデルになった… […]

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