猪爪寅子(虎に翼)の恩師:穂高重親のモデルは?渋沢栄一との意外な関係も

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2024年4月1日から放送が開始したNHK連続テレビ小説『虎に翼』

まだ男尊女卑の風潮が色濃く残る昭和初期を舞台に、法を学び、女性初の裁判所長に就任した人物・猪爪寅子(いのつめともこ)の半生を描いたドラマです。



寅子のモデルとなったのは、日本初の女性裁判所長を務めたことでも知られる女性弁護士・三淵嘉子(みぶちよしこ)という女性です。


ドラマに登場する「明律大学」や、法曹界に飛び込むきっかけを与えてくれた「穂高教授」も実在するの?


\この記事を読んでわかること/

・ドラマ『虎に翼』の主人公・猪爪寅子の恩師:穂高重親のモデルとなった人物は誰?
・渋沢栄一との意外な関係とは?
・「明律大学女子部」のモデルとなった学校はどこ?


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猪爪寅子(虎に翼)の恩師:穂高重親のモデルは?

穂高重親との出会い

ドラマ『虎に翼』では、当時の法解釈に疑問を抱いたことから、法学の世界に飛び込むことになった主人公・猪爪寅子(いのつめともこ)。

女学生時代、寅子は猪爪家に下宿している佐田優三に弁当を届けるために、優三が通う法律学校に足を運びます。


ただのおつかいの予定でしたが、教室の中から

女性は結婚すると無能力者になる

というとんでもない言葉が聞こえてきたため、あまりの衝撃に声を挙げてしまいます。


今考えれば有り得ない考え方ですが、男尊女卑の風潮が色濃く残る当時、民法では女性の地位について実際そのような解釈がされていました。
当時は外へ働きに出るにも、一家の主である夫の許可がいると明確に示されていたのです。

※現在は既に法改正されています


教室で講義中だった臨時講師の裁判官・桂場(松山ケンイチ)に、盗み聞きしていることがバレてしまった寅子。

さらに「私の母は無能力者ではない。家事を始めとして家のことをすべて担っている」と反論しますが、「家事は例外。民法上、家事以外において女性は無能力者とされているのだ」と突っぱねられてしまいます。


勝手に講義を聞いていたことをバレた上に、反論して論破される寅子…


「これは絶対偉い(っぽい)人に怒られるパターンだ…」

と身構える寅子に助け船を出したのが、遅れてやってきた同大学の教授・穂高重親でした。


穂高重親(ほだかしげちか)

のちに寅子が進学することになる、明律大学女子部の立ち上げに尽力した人物。
女子教育に熱心で、寅子にとっては法の世界に導いてくれた生涯の恩師となる。
穏やかでひょうひょうとした性格。



穂高教授は、「言いたいことがあれば言いなさい」と寅子に意見を述べる機会を与えただけでなく、「良かったら講義を聞いていきなさい」と教室に招き入れてくれました。


「女は女学校在学中に縁談をまとめるのが普通だ」
「女は出しゃばるべきではない」
「常に夫を立てて、家のことだけやっていればいい」-…




講義を受けた寅子は、これまで抱いてきた男性優位の違和感の根源は、❝女性は無能力者だ❞と定める法律にあるのだと気づきました。


ここから、寅子の運命が大きく動き出すことになります。


寅子の人生に大きな影響を与えることになる、穂高教授。
実際にモデルとなった人物はいるの??

モデルとなった人物は?

ドラマ『虎に翼』に登場する、穂高重親のモデルとなった人物は、

日本家族法の父と称される法学者・穂積重遠(ほづみしげとお)さん

だと思われます。

穂積重遠(ほづみしげとお)

1883年4月11日ー1951年7月29日。
民法を専門とする、日本の法学者。
1929年には明治大学専門部内に女子部を創設。女性の法曹界進出に大きく貢献した。


穂積重遠さんは、1883年4月11日に東京で生まれました。


東京帝国大学(現・東京大学)の教授・法学部長をつとめたのち、最高裁判所判事を歴任。

「日本家族法の父」と称される高名な法学者でした。


穂積重遠さんは、自ら創設に関わった明大女子部(法学部)で教鞭を執っており、寅子のモデルとなった三淵嘉子ら女性法曹の育成にも力を入れていました。

ドラマにあるような出来事があったかはわかりませんが、実際に三淵嘉子(寅子のモデル)と教師・生徒の関係にあったのですね💡


渋沢栄一との意外な関係も

三淵嘉子に法学を説いた、在りし日の穂積重遠。


実は、「近代日本経済の父」と称される渋沢栄一と意外な関係にあったことが知られています。

実は、穂積重遠の母・歌子は、渋沢栄一の娘なのです。


つまり、

穂積重遠(穂高重親のモデルとなった人物)は、渋沢栄一の孫

ということになります。


まさかの血縁関係に驚きですね…!!



ちなみに『虎に翼』で穂積重遠を演じた俳優・小林薫さんは、渋沢栄一を題材にしたドラマ『青天を衝け』で、渋沢栄一の父・渋沢市郎右衛門を演じていました。

実在した穂積重遠が女子教育に熱心であったのは、先進的な思考を持つ渋沢栄一の教えをもって育てられた母・歌子の影響が少なからずあったのではないでしょうか。


小林薫さんが「渋沢栄一の父/渋沢栄一の孫」を演じたのも、なにかのご縁かもしれませんね


ドラマ『虎に翼』では、穂高教授からの勧めを受けて、女学校卒業後は明律大学女子部に進学しようと決意した寅子。


最後に、のちに寅子が総代をつとめ、法学の知識を築いていく「明律大学女子部」のモデルとなった学校についてご紹介します。


猪爪寅子(虎に翼)の女学校はどこ?

彼女が女学校卒業後に選んだ道は、❝誰かのお嫁さん❞ではなく、「明律大学女子部」に進学し法律を学ぶことでした。

ドラマに登場する学校「明律大学女子部」のモデルになった学校はどこ??

寅子が女学校卒業後に進学した「明律大学女子部」のモデルとなったのは、

明治大学専門部女子部法科

です。

戦後に発足した明治大学短期大学(現・明治大学法学部)ですね💡


寅子のモデルとなった女性・三淵嘉子が進学先に選んだのは、当時唯一女性が法律を学ぶことができる場であった「明治大学専門部女子部法科」でした。

それまで、弁護士法において、司法試験の資格は「帝国男子に限る」と明記されていました。
そもそも女子学生には受験資格自体が与えられていなかったのですね。



しかし、女性にも受験の機会を与えるべく法改正が進んでいることを見越し、「女性も法律を学べる場を」という考えのもと、1929年に創立されたばかりの新しい学校でした。


寅子のモデルとなった三淵嘉子は、明治大学専門部女子部法科を卒業したその年の11月、同級生の中田正子、1学年下の久米愛とともに高等文官試験司法科(現・司法試験)に見事合格しました。


合格者総数は男子含めて242名。


女性初の司法試験の合格者となったのです。


まとめ

今回は以下の内容についてご紹介しました。

・ドラマ『虎に翼』の主人公・猪爪寅子の恩師:穂高重親のモデルとなった人物は誰?
・渋沢栄一との意外な関係とは?
・「明律大学女子部」のモデルとなった学校はどこ?

・猪爪寅子が法曹の道に進むきっかけとなった人物:穂高重親のモデルは穂積重遠さん。
・穂積重遠は、渋沢栄一の初孫(重遠の母・歌子は、渋沢栄一の娘)。
・ドラマに登場する明律大学女子部は、戦後発足した明大学短期大学の前身。


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